2013年09月01日(日) お白石持行事 浦口からの外宮奉献 動画あり (徒歩)
本日は、第62回神宮式年遷宮 お白石持行事 外宮奉献の最終日、そしてお白石持行事全体の最終日でもあった。最近、休日には特別神領民によるお白石奉献のサポートに出動することが当たり前の状態になっていた。そんな習慣化してしまった奉献サポートも今日が最終日、とても感慨深い一日となった。
最近は平日でも頭のどこかで「エンヤー、エンヤー」の掛け声が鳴り響いている日々・・・
特別神領民によるお白石の外宮奉献では恒例となっているが、おもてなし広場で解団式が開催されている最中に地元奉献団が外宮北御門口へ到着する。
本日もその例にもれず、浦口を一番に出発した前山町養命団が到着した。
【前山町養命団】
おもてなし広場の北御門口側扉が一時的に閉鎖されたので、奉献サポート仲間とともに手を休めて北御門口へのエンヤ曳きの見学に集中した。
目の前では前山町養命団のエンヤ曳きが始まった。直線ではなく、交差点の角を曲がる難しいエンヤ曳き。綱はかなり長~い・・・。
【動画】 前山町養命団 エンヤ曳き
(59秒 4.1MByte)
奉曳車は交差点も見事にクリアして、外宮北御門口へと曳き込まれた。
その後には多数の人々が続き、その中にはカメラを手にした多数の外国人観光客の姿も・・。
【豊栄会奉献団】
しばらくすると二番目の豊栄会奉献団、
綱先が私たちの目の前を通り過ぎた。
このまま粛々と曳き込まれるのかと思ったが・・・
いやいやそんなことはない。奉曳車が北御門に正対する交差点まで到着すると綱は停止した。
そして、ここからは静から動への転換。木遣り唄の後に、力強いエンヤ曳き。
【動画】 豊栄会奉献団 エンヤ曳き
(2分29秒 7.7MByte)
特別神領民の最後の解団式も終了し、お白石持行事における特別神領民奉献サポートは完全に終了した。
昼食のために伊勢商工会議所へ向かう途中、 北浜連合奉献団の太鼓演奏を聞いた。
【北浜連合】
今日は最終日なので最後まで踏みとどまろうと思い、まずは空腹を満たすためにこの場を後にした。
外宮参道から伊勢商工会議所へ向かう道路の歩道をパチリ。ここの歩道は道幅が広いが今日は奉曳を終えた奉曳車の待機場となっていた。
【・・・】
この後、商工会議所にて昼食の弁当を食べた後、特別神領民の奉献サポートにともに励んだ仲間に別れの挨拶をしてから外宮前広場へ戻ってきた。
【北浜連合】
ちょうど外宮前交差点では、北浜連合の奉曳車がペイローダーで牽引されていた。エンヤ曳きを見ることはできなかったが、機械曳きを見ることだけはできた。
後ろに続くのは梃子方だろうか?
この場を後にすると続く奉献団の姿を探した。北御門口でも見つからなかったので、交差点まで戻ると、
【大湊奉献団】
そこには大湊奉献団。
踊りに続き、
綱先が近づいてきた。
先頭は交差点を曲がってさらに進んだ。
まだ、まだ・・・
奉曳車がNTT西日本 伊勢志摩ビルを過ぎると綱の進行が停められた。
しばらくすると奉曳車はさらに曳かれたが、交差点にて北見門口に正対する位置で停められた。
【動画】 大湊奉献団
(1分03秒 5.4MByte)
奉曳車の後方の足(名称は不明?)の表面がキラキラと輝いていた。立派な奉曳車だ。
ここからは直線のエンヤ曳き。
梃子方の後方に陣取り、彼らとともに緊張感を体感した。
木遣り唄が何本も披露されたので、梃子方は駆け出す緊張感を何度も感じていたはずだ。
【動画】 大湊奉献団 エンヤ曳き
(4分07秒 14.5MByte)
曳き始めたらロケットスタート、あっという間に姿が小さくなった。仕方なくズームで対応した。
次に続いていたのは倭町奉献団。
【倭町奉献団】
先導車の後ろでは
綱が巻き取られていた。
その後ろでは練りながらも少しずつは前へ前へと進んでいた。
【動画】 倭町奉献団
(13秒 882KByte)
前へ前へ・・・。
奉曳車の木遣り台では二人の木遣り子が横に並び、また衣装が独特だった。膝や肘など各所に結ばれた赤い紐が印象的。
奉曳車の綱元付近に特別神領民奉献サポートスタッフの仲間を発見! カメラを向けるとポーズをつけてくれたのでパチリ! お疲れさまでした、いろんなことに・・・。
奉曳車は練りながらも少しずつ前へ前へと曳かれた。
最後にエンヤ曳きの準備のため、奉曳車は交差点内で停止された。
【動画】 倭町奉献団
(1分40秒 7.0MByte)
エンヤ曳き前の彼らをパチリ。
今回は見学場所を変更して、ゴール地点である北御門口の火除橋前へ移動した。
外宮へのエンヤ曳きだ。
【動画】 倭町奉献団 エンヤ曳き
(9分45秒 27.6MByte)
奉曳車が無事に外宮へと引き込まれると「万歳!・・」
エンヤ曳きの興奮が少し落ち着くと
奉曳車は北御門口から表参道口へと曳かれていった。
「エンヤー、エンヤー・・」、ゆっくりと・・・
こちらが、玉砂利に残された倭町奉献団の奉曳車の軌跡。
また、奉曳車の軌跡は玉砂利だけでなく、奉曳車が曳かれる道路にも残されている。エンヤ曳きされる直線路では次の通りだ。
【奉曳車の跡】
【吹上町奉献団】
交差点の中央では吹上町奉献団の子供木遣りが休憩中。
交差点を左折して奉曳車が停まっている方へ進むと子供たちが(吹上)甚句を唄っていた。
梃子方が奉曳車の前で打ち合わせ中?
子供たちの甚句は続いていた。
奉曳車の横を通り過ぎると、その後ろでは
大人による甚句が披露されていた。
思わず甚句の心地よさに聞き入ってしまった。
【動画】 吹上町奉献団 (吹上)甚句
(38秒 2.3MByte)
(28秒 1.9MByte)
【動画】 吹上町奉献団
(1分15秒 4.4MByte)
甚句が終了すると一瞬の間の後、円陣が組まれた。
手を上げた時、何て掛け声を掛けていたのか? あぁ、思い出せない。
皆さん、とても満足そうな表情だった。「お疲れ様、ありがとう!」
甚句の調子に乗せられていたのだろう、心地よさを優先して歌詞を聞くことを怠っていた。実はこの時点でこの曲のタイトルが(吹上)甚句であることも知らなかった。近くにいた吹上町奉献団の方に質問したところ団員に配付された歌詞カードを見せてくれた。すかさず主要部分を撮影させていただいた。(感謝) こちらだ。
【(吹上)甚句ほか】
曲のタイトルは(吹上)甚句で、
後半はストトコ節に切り替わる。踊り方も変化・・・。
また、あいの手なども記されていた。
これを踏まえて先の動画を聞いてみると興味深い。
甚句が終了し、しばらくすると動きがあった。
先導車に続き、
巻き取られていた綱が伸ばされた。
綱は交差点を左折し、外宮北御門方向へと・・・。
メインの行事が進められる中、ひとりの女性が「ほうき」と「ちりとり」を手にして路上を清掃していた。立つ鳥跡を濁さず。
かなり長い木遣り唄が披露されるとゆったりとしたマイペースのエンヤ曳きが開始された。
【動画】 吹上町奉献団 粛々としたエンヤ曳き
(11分02秒 28.1MByte)
奉曳車が交差点を通過するとその後に観光バスが続いた。
それは救護車だった。
この場所で吹上町奉献団を見送ると次の団のもとへと向かった。
【宮崎連合会奉献団】
続いては宮崎連合会奉献団。
小田橋からの外宮奉献の際に岡本一丁目交差点付近、「みやざきお花畑」の前にテントを張り、冷茶ほかで接待していた団だ。
【参考】
「宮崎連合会」幟の後ろには地方衆と踊り手が続いた。
続いて綱先・・・。
反対側の先頭は子供たち。
奉曳車が小西萬金丹本舗へ近づいて来たので、急いで近づき
後方から回り込んでパチリ。
ほどなく、木遣り唄が披露された。
木遣り唄が終了すると「エンヤ」の掛け声に続き奉曳車が動き出した。
この後、しばらく練りに練って・・・。
【動画】 宮崎連合会奉献団 練り
(18秒 1.2MByte)
(7秒 459KByte)
木遣り唄、練り、少しの前進。 このパターンが繰り返された。
こんなチビッ子の活躍が目を引いた。
【動画】 宮崎連合会奉献団
(24秒 1.8MByte)
この後、体勢を整えてから
北御門まで粛々とエンヤ曳き。
【動画】 宮崎連合会奉献団 粛々としたエンヤ曳き
(4分13秒 10.7MByte)
交差点を左折した奉曳車を追って、私も北御門口へ向かった。
奉曳車は玉砂利に自身の軌跡をつけながら、さらに表参道口へと進められた。
【動画】 宮崎連合会奉献団 北御門口から表参道口へ
(27秒 1.9MByte)
奉曳車の後を追って私も表参道口へ向かった。
奉曳車は駐車場を抜けると
その先を左へ、
右へと曲げてから
表参道口へ。
奉曳車が表参道口まで曳き込まれると
修祓を執り行う神職の前へと進められた。
到着すると「万歳三唱」、『万歳』
『万歳』
『万歳』
綱が巻かれる間に
お白石が詰められた木樽が降ろされた。
役目を終えた子供木遣りは少し余裕を取り戻していた。
お白石を運ぶ準備が終了する頃、
私はこの場を離れた。
次の奉献団のもとへ向かう途中、
【吹上町奉献団】
北御門口の火除橋には、お白石の奉献を終えた吹上町奉献団の姿があった。
北御門口から交差点へ向かうと今まで見たことがない動きに出会った。通常ならNTT西日本 伊勢志摩ビルから伸びた綱は交差点を右折して北御門口を目指す。今回は交差点を右折せずに直進した。
【岡本町奉献団】
太鼓の叩き手のみが右折すると、
【動画】 岡本町奉献団
(8秒 407KByte)
綱先は交差点を直進した。
【動画】 岡本町奉献団
(3分34秒 16.1MByte)
綱先はこの場所まで伸ばされた。実は長い先綱を切るためだった。
私は交差点まで戻ると、
北御門口へと移動した。この場でエンヤ曳きを見学することにした。
コース取りなど入念な打ち合わせを重ねると
交差点では太鼓の演奏が開始された。
太鼓、木遣り唄が終了するとエンヤ曳きが開始された。
「エンヤ、エンヤ!・・・」 外宮へと曳き込まれた。
【動画】 岡本町奉献団 エンヤ曳き
(41秒 3.4MByte)
奉曳車は北御門口から表参道口へと移動された。
【尾上町永昌社奉献団】
そして、次は尾上町永昌社奉献団、NTT西日本 伊勢志摩ビルの前。
尾上町の奉曳車はかなりコンパクトだ。
【岩渕町奉献団】
そして、本日の最後。いや、お白石持行事の最後の奉曵団。それは岩渕町奉献団。
休憩中だった。
綱を手にしながらの休憩。
まずは奉曳車を確認。
奉曳車の後部を見ると
「古代米 神丹穂」が奉献されていた。
しばらく、動きがないようだったので
先ほど対向した尾上町永昌社奉献団のもとへ戻った。
【尾上町永昌社奉献団】
尾上町永昌社奉献団の先導車はちょうど北御門口へ折れる交差点に到着していた。
交差点では多数の警官の姿。今日はエンヤ曳きで将棋倒しになりかけて警官が倒れた人を掻き出す騒動があったからだろうか。かなり気合が入っている感じだった。
奉曳車から
綱が伸ばされると・・・。
今日もコンデジの二本目の電池が切れてしまった。このあとはスマホでの撮影となった。
綱が張られると木遣り唄の後、エンヤ曳きが開始された。
「エンヤ、エンヤ!」・・・
【岩渕町奉献団】
そして、本当に最後、お白石持行事の最後の奉献団、岩渕町奉献団。これで終わってしまう。
NTT西日本 伊勢志摩ビルの前に綱先が到着したので、急いで奉曳車へ向かった。
木遣り子を綱に担いで進む場面にも遭遇。
時は夕刻、夕日を法被の背に浴びていた。
小西萬金丹本舗前を奉曳車が通過、
その前では肩に担がれた木遣り子が木遣り唄を披露していた。
さらに陽が沈み始めた。
そして、外宮北御門口への交差点、
最後の奉曳車が
北御門口へと曳かれた。
「エンヤー、エンヤー」
長~~い一ヶ月が終了した。
しかし、今も頭の中では「エンヤ、エンヤ!」 いつまで続くのだろう?
お白石持行事に関しては 有限会社 伊勢文化舎 が発行する『伊勢の今を伝える いせびとニュース 夏号(第11号)』に簡潔にかつ明解に紹介されている。
また『伊勢の今を伝える いせびとニュース 残暑号(第12号)』には外宮奉献の見どころなどが紹介されている。
幸いなことにこれらのニュースのPDF版は伊勢文化舎のホームページにて無料で提供されているので、ぜひご覧ください。(感謝)
【参考】
さらに、お白石行事のスケジュールおよび本期間中の伊勢市内交通規制については伊勢市のホームページに掲載されている。(いた。)
【参考】
- お白石持行事のページ (伊勢市のホームページ)
- お白石持行事期間中の交通規制 (伊勢市のホームページ)
- お白石持行事公式ホームページ (御遷宮対策委員会)
今頃、このサイトを見つけ、沢山の写真と動画で、当日の感動がよみがえりました。
こんなに沢山見れるのは、ここだけかも。
ところで、このページのの動画を、譲っていただく事は出来ませんでしょうか。
ちらっとですが、私と同行者が写っているのです。
動画のハードへの取り込みは出来ないので、何とか…
私事のコメントで、申し訳ありません。
森田晴美さん
お問い合わせありがとうございます。
詳細はメールにて返信させていただきます。
では、また、