2013年10月05日(土) 転害会(てがいえ)(手向山八幡宮) (車、徒歩)
手向山八幡宮 にて紹介したように手向山八幡宮は東大寺と深い関係がある。宇佐から八幡宮をこちらへ勧請した際に転害門から入ったことから礼祭の名称が転害会となり、転害門でも祭典が斎行される。
『公慶上人坐像』に導かれて奈良へ にて書いたように『公慶上人坐像』に会いたいがため、10月5日に奈良を訪れた。そして、10月5日は手向山八幡宮の礼大祭である転害会の日。
東大寺との深い関係を感じながらその一角にある手向山八幡宮を訪れた。
転害会はライブコンサート、宵宮祭、本宮祭の三本立てとなっていて、本日の本宮祭は「御本宮祭典」と「転害門祭典」で構成されていた。
これから始まるのが手向山八幡宮にて斎行される「御本宮祭典」。
衝動にかられた訪問であったが素晴らしい訪問になった。祭典の次第としては一般的な例大祭の流れであったが、驚くべきことがふたつあった。
祭典の流れを紹介するとともにそれらのサプライズについても紹介する。
祭典の開始は9時30分。先駆けて三名の楽師が拝殿へと向かった。
着座し、楽器の準備と調整が進められた。
定刻が近づくと社務所前に祭典に参加する神職が・・、いや剃髪の方も・・・。東大寺の僧侶だ。まず、ひとつのサプライズである。神事に参列する僧侶の姿を見るのは初体験である。
準備が整うと手水を受けた後、参進となった。(拝殿は目の前にあるため歩くのは10m程)
【参進】
【動画】 転害会(手向山八幡宮)、参進
(1分06秒 2.6MByte)
全員が着座すると、一名の神職が修祓のために席を立った。パチリ。
正面には舞姫。そしてここからは見えていないが僧侶は神職の反対側本殿前に着座。
【修祓】
祓詞の後、本殿前の案から大麻を手にした神職が修祓を執り行った。
【開扉?】
続いて楽に合わせて神職が本殿へ向かった。
【動画】 転害会(手向山八幡宮)
(34秒 1.3MByte)
本殿の御扉の前へ進むと御扉に掛けられた御簾の裾を持ち上げると前面に置かれた案に掛けた。御簾の下側が手前に開かれた状態になると「ウォー」「ウォー」「ウォー」と警蹕(けいひつ)が聞こえた。本殿の御扉は正面と左右に三箇所あり、中央、右、左の順に進められた。右側、御簾を上げる前にパチリ。
楽の演奏は続けられた。
【?】
続いて、宮司が拝殿に着座した。
すると神職が拝殿左側に立て掛けられていた大きな御幣を手に取った。
そしてその御幣は着座している宮司に手渡された。
御幣を手にした宮司は本殿に正対すると御幣を捧持して立ち上がった。
立ち上がった宮司は御幣を左、右、左へ振った。そして、着座。すかざず立ち上がり・・。この所作は都合3回繰り返された。
この所作の様子は次の動画で
【動画】 転害会(手向山八幡宮)
(1分44秒 4.2MByte)
所作が終了すると御幣は本殿の前に安置された。
御幣を置いた神職が本殿前から拝殿へ戻ると
拝殿にて待機していた宮司と正対し
二拝二拍手一拝(?)。
向かい合っての拍手、この理由も?
この一連の所作は私にとってのサプライズの二番目だった。
【献饌】
この後は献饌、中央、右、左の順で・・・。
【祝詞奏上】
宮司が本殿正面の木階下に座すと(私も低頭し)
祝詞が奏上された。
【玉串奉奠】
続いて、玉串奉奠。
氏子総代側の先頭に座していた僧侶も玉串を手にすると
案の上に玉串を奉奠し、二拝二拍手一拝。神仏習合を実感させてくれる瞬間だった。
氏子総代が続き、最後に舞姫の子供たちが玉串奉奠を締めくくった。
【撤饌】
祭典も終盤となり、撤饌。
【閉扉】
【退下】
祭典が終了すると宮司を先頭に退下となった。
そして、僧侶も。
拝殿の前には拝観者が多数いた。
ここではサプライズがふたつ。これもこの日に奈良へ引き寄せてくれた『公慶上人坐像』の「おかげ」だろう。(感謝)
【 20131005 の記録 】
- 『公慶上人坐像』に導かれて奈良へ
- 手向山八幡宮
- 転害会(てがいえ)(手向山八幡宮)
- 転害会(てがいえ)が中止となった転害門(東大寺)
- 転害会 秘仏特別開扉-公慶上人坐像ほか(東大寺勧進所)
- 氷室神社