2013年10月05日(土) 転害会(てがいえ)が中止となった転害門(東大寺) (車、徒歩)
『公慶上人坐像』に導かれて奈良への途中で立ち寄った転害門。
東大寺側から直進すると
石段の前には「柵の中に入らないで下さい 東大寺」の注意札がある。
転害会の際はこの柵が取り外されて門の上に上れるそうなので期待してやってきた。
転害会は11持30分に斎行される予定だったので門の脇にある通用口をくぐると
門の正面へ。
すると柵には次の説明板があった。転の字が難しい。「轉」だ。
この柱は節くれだっている。もしかして天平時代のものだろうか?ロマンを感じる。
また、前面には大注連縄、さらに基壇の中央上部に見える(見難いが)のは格天井だろう。
転害会が始まるまで門の周囲を見学。
門前、石段下には祭典のために注連縄が張られていた。
敷地の隅には次の史跡東大寺旧境内の説明板と標石があった。
転害会の開始時刻が迫ってきた頃、転害会中止が告げられた。
奈良は早朝に雨が降っていたため、その時点で転害門での祭典は中止と判断されたそうだ。(残念)
転害門の隣に設置されている「奈良市きたまち転害門観光案内所」へ立ち寄ると過去の転害会の写真「転害会図会(絵巻)」の複製が展示されていた。
帰宅後に調べたところ、手向山八幡所蔵 転害会図会(絵巻)のアーカイブが公開されていた。見応えがあるので、是非じっくりと見ていただきたい、こちらだ。
【参考】
倒れてもタダでは起きない私は転害門を再度観察した。
祭典が斎行されないので正面へと向かい
石段を上がるとその上部には多数の盃状穴があった。
盃状穴に関しては伊勢地方にもたくさんあり、自分自身の目でも多数を確認している。
【参考】
そして、柵の前から基壇の中央を眺めると「あります」神輿安置の小礎四個。
転害会が斎行されれば、この場所に神輿が置かれたはずだ。頭に思い描いてこの場を後にした。
この道標を背にして
先ほどくぐった通用口をくぐり返した。
【 20131005 の記録 】
- 『公慶上人坐像』に導かれて奈良へ
- 手向山八幡宮
- 転害会(てがいえ)(手向山八幡宮)
- 転害会(てがいえ)が中止となった転害門(東大寺)
- 転害会 秘仏特別開扉-公慶上人坐像ほか(東大寺勧進所)
- 氷室神社