2010年10月17日(日) 神嘗祭 奉幣の儀(内宮) (自転車、徒歩)
昨日の外宮での奉幣の儀に引き続き、今日は内宮へ向かった。
【参考】 神嘗祭 奉幣の儀(外宮)
参進は11時40~50分頃に開始されると予想し、早めに自宅を出たら宇治橋前へ11時すぎに到着した。
すると宇治橋前には多くの衛士が集まり、ものものしい雰囲気となっていた。回りの人に聞くと誰かが車で到着するそうだと。祭主である池田厚子さんかと思ったが、漏れ聞こえる情報によると勅使の一行であることが分かった。
そうか、そういえば浦田交差点の信号制御盤の辺りにPOLICEのベストを着た警官が立っていた。その時は何気なく通り過ごしたがこれで解せた。
待つこと十数分。宇治橋前のロータリーに交通規制が敷かれ、車両通行が遮断された中、2台の黒塗りの車がゆっくりと入ってきた。
衛士(人)が車両を先導し、ゆっくりではあるが当然のように宇治橋を渡り始めた。天皇陛下を始め皇室の方は車両で第一鳥居まで向かわれると聞いたことがあるが、初めての光景はとてもショッキングであった。
ちなみに、参道であれば散水車が走っているのを以前見かけたことがある。
【参考】 参道の散水車については、 内宮めぐり
車両が宇治橋の中央辺りに達した頃、参拝者の足止めが解除された。参拝者も衛士に先導され、車両との適当な間隔が維持された。
宇治橋を渡り終え、玉砂利を歩くようになると、その間隔もかなり短くなっていった。次の画像で1台目の車両が火除橋を越えている。
勅使を乗せた車両はそのまま斎館へ入った。もう一台の車両からは2~3名が降り、歩いて斎館へ入って行った。
私が手水舎で心身を清めて第一鳥居をくぐろうとすると、先ほどの車両が斎館から第一鳥居へ戻って来たため、第一鳥居をくぐらずに右手を進んだ。
車両が斎館を離れると斎館へのアプローチには轍ができていたが、その後これらの轍は綺麗に均された。(ここから参進が始まる。)
また、斎館の前にある第一鳥居内祓所には、修祓で使用される大麻(おおぬさ)と御塩(みしお)が準備されているようであった。
しばらくすると、辛櫃のみが運ばれて行った。
その後、2名の神職が第一鳥居内祓所で大麻と御塩を受け取り、第二鳥居へ向かった。
これで準備が整った。しばらくすると参進開始を知らせる太鼓が打たれた。
衛士が先導し、勅使一行を先頭に、神職が参進を開始した。
外宮ではお見えにならなかった祭主の池田厚子さんも今日は参進されていた。
参進が第二鳥居へ到着すると鳥居の前で整列し、修祓がとり行われた。
修祓が終了すると、御正宮へ向け参進が再開された。
神楽殿の前を過ぎ、
御正宮へと向かわれた。
私はしばらくしてから御正宮へ向かうこととし、まずは荒祭宮の状況を確認することにした。別宮遥拝所の先を左へ入ると、いつも閉じられている扉が開いていた。これも神嘗祭と関わりがあるのだろうか?
さらに、先へ進むと御稲御倉の手前に一部が変色した木の棒が2本横たわっていた。
先を見ると御稲御倉の正面右手には注連縄が束ねられていた。ということは御稲御倉へ入れるように開けられている。この後で分かったことだが、参進は途中でこの場所には立ち寄らなかった。
自宅に帰ってから思い出したことは、もと神宮の禰宜であった矢野憲一さんの「伊勢神宮の衣食住(角川ソフィア文庫)p.137」の一節である。もしかするとこの神事のためなのかもしれない。 (2010-10-22訂正)
抜穂は新田で数日間乾燥させたあと、内宮は御稲御倉に百五十束、外宮は忌火屋殿に百八束を奉納し、これを三節祭(さんせつさい)とよぶ神嘗祭と十二月の月次祭(つきなみさい)、翌年六月の月次祭の御料とする。
この祭りの前に、御稲奉下(ごとうほうげ)という御倉から稲をお下げする神事がある。
矢野憲一「伊勢神宮の衣食住」(角川ソフィア文庫)p.137 より抜粋
(2010-10-22追加 開始)
さらにこの本には次のように書かれていた。
現在は、六月、十月、十二月の各一日に内宮神楽殿の隣にある御酒殿神社で御酒殿祭をし、四日市市垂坂町の麹協同組合から献納される忌麹(いみこうじ)をお供えして、酒作物忌(さかとこのものいみ)が奉仕した故事を受け継いでよい白酒(しろき)・黒酒(くろき)ができますようにと祈り、あわせて全国の酒造業界の発展を祈願し、神宮神田で収穫し、御稲御倉に奉納してあったお米を厳選し、忌麹と外宮の上御井(かみみい)神社の御水を用いて忌火屋殿で、この日から十日間かけて醸造する。
矢野憲一「伊勢神宮の衣食住」(角川ソフィア文庫)p.180 より抜粋
つまり、御稲奉下は10月1日当日か、それ以前には済まされていると思われる。奉幣の儀の当日に注連縄が外されていたこととは関係がなさそうだ。・・・?
【参考】 2010年10月1日 御酒殿祭
(2010-10-22追加 終了)
さらに外幣殿を越えて進むと突き当たりの左手に荒祭宮へ下る石段があるが、今日は突き当たりの扉も開けられていた。
石段を下り、荒祭宮へ参拝すると、奉幣の儀の準備は既に完了していた。
賽銭箱も手前右隅に寄せられていた。
また、賽銭箱の回りにあった板塀(?)も取り外されていた。
荒祭宮の確認を終えてから御正宮へ向かい奉幣の儀を拝観した。30分ほどで退席し、別宮遥拝所に近く御正殿が見える辺りで参進が戻ってくるを待っていた。
20~30分待っただろうか。1時半を過ぎた頃に参進が戻ってきた。
衛士から「(別宮遥拝所の前で)二方向に分かれますので、2~3歩下がってください。」と声がかかった。勅使一行は荒祭宮を目指し、
祭主を含め、神職の一部の方が斎館へと向かった。(ただし、確認していないので実際のところは?)
ここで二方向へ分かれて行った。なかなか壮観だった。
参進は御稲御倉には立ち寄ることなく、荒祭宮へと向かった。石段を下り、
石段を上り、全員が着座すると奉幣の儀が始まった。
粛々と進められ、八度拝、八開手が終了すると、
儀式が終了し、参進は斎館へと戻った。 退下(たいげ:祭典を終えて斎館に戻る)となった。
私が宇治橋まで戻ってくると再度規制がかかっていた。ということは勅使一行が帰られる。私と帰る方向は同じ(御幸道路)だろうから道路上から見送ろうと考え、帰路についた。
予想通り黒塗りの車両が2台、後ろから。伊勢自動車道と御幸道路との立体交差の手前の交差点で信号が赤となり停止した。私はここで勅使一行を見送った。