2013年12月29日(日) 本年最後のお伊勢さん125社まいり、田丸めぐり他 (車、徒歩)
本年最後のお伊勢さん125社めぐり。「どこを巡ろうか?」、ブログのカテゴリーで訪問した回数を確認したところ4回が最低で、「鴨下神社」、「奈良波良神社」、「小社神社」、そして「久具都比賣神社」の4社だった。まとめて巡れるのは田丸めぐりに分類される「鴨下神社」、「奈良波良神社」、「小社神社」の3社をめぐることにした。
玉城町役場の駐車場に車を駐め、村山龍平記念館前からスタート。村山龍平記念館でトイレを借りようと思ったが年末年始の休暇に入っていた。(そのため、田丸城址の搦手道の入口にあるトイレを借りることにした。)
大手門橋を渡ると外堀に沿って右方向へ進み搦手道の入口へ向かった。
搦手道の入口からは近くにあるJR参宮線 外城田・田丸間城山架道橋の下をくぐると住宅街を抜けて鴨下神社を目指した。サニーロードを歩けば迷うことはないが、別ルートを探るために色白橋から田丸橋への途中を左へ曲がり田んぼの間を歩いた。
振り向くと田丸城址、イルミネーションを設置するために設置された天守閣の骨組みが見える。
【参考】
県道伊勢多気線と交差すると振り向いて田丸城址をパチリ。
県道を渡るとその先に続く道を進むことにした。(この道は歩いたことはないが方向は鴨下神社に間違いない。)
すると、建物の陰で・・・
見事な霜柱を発見! ザクザク、ザク・・・・、しばし楽しませて頂いた。童心に帰れる瞬間だ。
その先にはNTT DoCoMo 玉城南無線局があり、道路は左右に別れる。右へ行けばサニーロードに出てしまいそうなので、ここは自ずと左へのルートを選択。
無線局を過ぎて振り返ると、「お寺?」。急ぐ理由もないので寄り道だ。
山門をくぐってパチリ。
ここは「神照山 圓満寺」である。
本堂の左手にはお堂が二棟(いや、繋がっているから一棟か)建っている。
右側が「閻魔堂」で
左側が「吒枳尼真天堂」である。
また、駐車場側には、以前利用されていたと思われる鬼瓦が展示されていた。かなり大きい。
圓満寺を後にして、先へ進むと右手に南出組合所があり、
その隣には鳥居が建っていた。
思わず鳥居をくぐると坂の上にはこのような空間があった。
社の御扉にはしめ縄が飾られていた。
(後で地元の方に伺ったところ、合祀のためにこの社には神様が不在とのこと。)
また、境内の数カ所にこのような石が祀られていた。それぞれに新しそうなしめ縄が掛けられていた。
太陽の恵みを感じながら
境内を後にした。
鳥居を出て右手方向へ進むと車から降りる方がみえたので「神社」の名前を尋ねた。すると開口一番「空やよ」、「東外城田神社に合祀されたから・・・」、つまり合祀のためにこちらには神様は祀られていない。そのため、名前には意味がないのだろう。しかし、今でも大切に維持されていることには違いない。
なお、帰宅後に調べたところ、三重県神社庁教化委員会のサイトに「・・・昭和5年7月20日大字勝田八柱神社(中略)を合祀・・・」とある。
【参考】
鴨下神社へ向けて進むとこの坂道の先に
鴨下神社の社叢が見えた。この風景、なんとなく覚えている。この方向からではなく、右側の道路の先からこちらを望んだ風景を。
この分岐で右手のルートを進み、墓地の手前でパチリ・・。
生命の息吹を感じてから墓地の前を左へ折れて鴨下神社へ。といっても目の前だ。
生垣の門をくぐるとお参り。
鴨下神社の前の右を左へ進み、
途中で振り向いてパチリ。
道なりにさらに進むと田んぼの丁字路、左手方向に田丸城址が見える。ここからも。
ズームでパチリ。目いっぱいでこの大きさだ。
田丸城址を背にするとハウスのイチゴ畑の間を進んだ。アスファルト舗装路から地道に変わってもさらに進むと勝田の大池に突き当たる。
土手に上ると大池をパチリ。いい天気だ。
土手を左方向へ進むと橋の先には辯天尊と刻された石が祀られている。
大池を後にすると道路を渡り、林の中へ入った。
一歩踏み込むとこんな世界・・・。
突き当りを右折、次を左折すると視界が開け、奈良波良神社の社叢が現れる。田んぼの畦を歩かせて頂いて正面から全景をパチリ。
右側に回りこんでパチリ。
奈良波良神社にお参り。
奈良波良神社を後にすると
先ほど全景を撮影した畦道の方向をパチリ。
奈良波良神社の前の道を左へ進み坂道を上ると右手に広瀬精工(株) 玉城工場がある。
ここから小社神社へは車道を歩くことになる。途中でパチリ・・・
前方左手に小社神社の社叢が見え、右手には歩道橋。どんどん大きくなってくる。
歩道橋から小社神社の社叢をパチリ。
歩道橋を渡るとどんどん近づいて・・・。
小社神社にお参り。
小社神社が本年のお伊勢さん125社まいりの締めくくりになると思っていたが、玉城町役場の駐車へ戻る途中に狭田国生神社があることを思い出した。そうか、ここが最後ではなかった。
小社神社を後にするとまずは佐田交差点を目指した。何度か振り返ってパチリ、パチリ。
佐田交差点を過ぎて、JR参宮線 三ツ桝踏切を渡ると
いつもなら次の丁字路を左折するのだが、今日は思い切って直進した。すると玉城病院の脇を通り外城田川右岸へ出た。「おっ、これは近道だ。」、狭田国生神社へ向かうにはこのルートが最短だ。
外城田橋の歩道で外城田川を渡る途中で、狭田国生神社の社叢をパチリ。
さらに近づいて、「萱町の武者隠し」説明板付近からもパチリ。
社叢を左へ回り込むと、狭田国生神社にお参り。
これで本年のお伊勢さん125社まいりは終了。最終訪問地は狭田国生神社となった。
これであとは帰るだけ、田丸駅方向へ向かった。
もう目的地はないので急ぐこともない。JR参宮線 田丸駅前のロータリーにある「熊野街道出立の街」モニュメントを見入ってしまった。
背中の梵字は何を意味するのか。時間がかかりそうなので後で調べてみよう!
駅舎に目を転じると・・・
JR参宮線は、お伊勢さん125社まいりでも何度か利用したが、熊野古道伊勢路を歩いた際は始発列車で向かったことが懐かしい。
入口の扉は木製で歴史が感じられる。なんとも風情がある。
田丸駅を後にすると駅前の商店街を抜けて玉城町役場の駐車場に戻った。
お伊勢さん125社まいりは、来年も続けよう!