2010年10月16日(土) 神嘗祭 奉幣の儀(外宮) (自転車、徒歩)
今朝は外宮へ早朝参拝した。その時、衛士に奉幣の儀のスケジュールを伺っていたので、ある程度余裕を考えて自宅を出た。一之木の交差点からNTTを目指して、その前の交差点を左折した。
この道路には神嘗祭ののぼりが多数立てられている。
予定では、斎館を出るのが11時50分で、御正宮到着が正午と聞いていた。北御門前に駐輪し、手水舎で心身を清めた後参道を急いだ。参道には昨夜の松明(しょうみょう)は見当たらなかった。
【参考】 松明(しょうみょう)については、 早朝参拝(外宮)由貴大御饌の名残ほか
神札授与所の前に着いたのが11時30分前、拝観者が並び始めていたので、場所を決め待ち続けた。すると予定時刻よりもかなり早く辛櫃が担がれてきた。太鼓の合図もなかったのでこれは参進ではないが、事前に準備されるものがあったのだろう。
辛櫃は御正宮へと向かって行った。
しばらくじっと待っていた。神職の方々も同様。
プレスは専用の場所が確保され準備万端の様子だった。明日の新聞が楽しみだ。
参進開始の太鼓の合図が。
衛士に先導されて、参進が始まった。
第二鳥居での修祓の後、
御正宮へ向けて参進が始まった。
参進の後ろを拝観者が続く。衛士が参進との間に入り、十分な間隔を保つようにしている。
歩きながらパチリ。無茶苦茶ブレているが、雰囲気を。
ここで拝観者はストップ。
奉幣の儀を見学するため、左手から御正宮の鳥居の近くまで回って行った。参進が正面(通常は賽銭を投げ入れる場所)から御垣内へ入られると参拝者にも開放された。
正面左手へまわり、奉幣の儀を見学した。約一時間ほどの儀式であった。同じような動作の繰り返しであったが、それぞれの動作に意味があり、必要不可欠なものなのだろう。それらの意味を知れば、もっとこれらの儀式を理解でき、さらに身近に感じることができるようになるだろう。まだまだ勉強だ。
儀式が終盤に差し掛かると正面左手で見学していた人々は右手へ移動するように、衛士から退去の指示がでた。その指示に従い、しばらく正面右手の奥の方から拝観していたが、どうも終了しそうな気配を感じたので、御正宮を出て、その前で参進が再会されるのを待っていた。
衛士の動きが慌しくなり、しばらくしたら、移動の気配が。
再び参進が始まった。
参進は別宮遥拝所を過ぎ、右へ折れ、多賀宮へと向かった。
亀石を過ぎ、
石段へと。
参進が石段の上部へ進むまで、参拝者は足止めされた。足止めが解除され衛士に続き石段を上る際にパチリ。これも無茶苦茶ブレブレ。
集団の後ろの方から多賀宮へ到着したので、撮影するために良さそうな場所がなかった。前にいる人の肩越しになるべく人影が入らないようにパチリ。ただし、儀式に頭を垂れる際は、こちらも合わせて頭を垂れた。
儀式が終盤に近づくと、衛士から石段下で待機するように告げられた。一般の拝観者が石段を下りた後、撮影クルーが最後に下りてきた。
最後の撮影箇所は別宮遥拝所の近くに決め、じっと待機していた。
しばらくすると衛士が通行を一時止めた。石段から参進が。このあとは斎館へ戻られる。 石段から退下(たいげ:祭典を終えて斎館に戻る)の列が現れた。
多賀宮にこれだけ多くの方が居たとは思えない。どのような配置で座られていたのだろう?
この後、斎館へ戻られて、奉幣の儀は終了した。
私は表参道からタクシー乗り場を抜けて北御門へ戻ったが、その途中、NTTのアンテナが見えた。伝統と歴史の神宮と先進技術で時代を切り開くNTT、これも表と裏の関係か。
自転車に戻り、先ほどのタクシー乗り場を経由して五十鈴川の川曳きへ行こうとしたところ、観光協会の前でおじさんが祭主が帰られる。と叫んでいたので、振り向くと黒塗りの車が走り去って行く。思わずパチリ。
でも、池田厚子さんは参進されていなかったが?