新ブログサイト『神宮巡々2』開設のお知らせ

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 2014年01月01日 【キタヰ】こと、桝屋善則

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

2013年02月17日(日) 五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社) (車、徒歩)

大台町観光協会および宮川流域ルネッサンス協議会が後援し、「大台町ふるさと案内人の会」の筒井 敏(宮川流域案内人)さんが主催する

「宮川流域案内人とともに 川添神社の奇祭・五身懸祭(ごみかけまつり)を見よう!!」

「宮川流域案内人とともに 川添神社の奇祭・五身懸祭を見よう!!」パンフレット

「宮川流域案内人とともに 川添神社の奇祭・五身懸祭を見よう!!」パンフレット

 

に参加するため、大台町の日進公民館を訪れた。
集合時刻まで時間があったので、日進公民館~出張遺跡(大台町) にて出張遺跡を見学後、日進公民館へ戻ると参加者が集まってきた。

「宮川流域案内人とともに 川添神社の奇祭・五身懸祭を見よう!!」の集合

「宮川流域案内人とともに 川添神社の奇祭・五身懸祭を見よう!!」の集合

定刻になると筒井さんより挨拶、本日の概要説明があり、五身懸祭(川添神社)の案内が開始された。

資料としていただいた川添神社社務所が発行する「川添神社の略記と五身懸祭」の説明書きはこちら。

川添神社略記、五身懸(ごみかけ)祭

川添神社略記、五身懸(ごみかけ)祭

川添神社略記、五身懸(ごみかけ)祭

川添神社略記、五身懸(ごみかけ)祭

さらに五身懸祭に関する追加の説明をいただいたので、私が記憶している範囲で列記、

  • 最近では2月19日に近い日曜日に実施される、川添神社最大の祭
  • 祭礼の時間は2時間くらい。
  • 前日から準備が始まる。
  • 栃原区および新田区からそれぞれ一組、計二組が担当する。
  • 当番は歳により年長者が兄、他方が弟となる。今年、新田区は弟。
  • 栃原区は約200戸、新田区は約400戸。
  • 祭の最後には13段の枝がついた雄松が倒れるとその先についた御幣を奪い合う。
  • 濁川以北ではその松を切ってはいけないとされていて、一年かけて探すことも。

など

先のパンフレットにもあるように、栃原区および新田区から川添神社まで道中行列があり練り歩く。この「・・・五身懸祭を見よう」企画は、道中行列の出発から川添神社での祭終了まで(11時30分~16時頃)がフォローされていた。

ご説明が終了すると行列の出発時刻が迫ってきたので、日進公民館を出発。

「宮川流域案内人とともに 川添神社の奇祭・五身懸祭を見よう!!」の出発

「宮川流域案内人とともに 川添神社の奇祭・五身懸祭を見よう!!」の出発

ここ新田区の出発点は何と私が先ほど通過した下新田集会所(日進小学校の校門右隣)だった。

五身懸祭 - 道中練り歩き準備(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き準備(川添神社)

下新田集会所へ近づくと多くの人々が集まっていた。

五身懸祭 - 道中練り歩き準備(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き準備(川添神社)

 

ここではまず、平成8年にまとめられた大台町史からの引用で、五身懸祭の当番について、さらに川添神社までの道中行列の様子をみてみよう。

大台町史 通史(平成八年三月三十一日発行)
 PP.680-681より引用
○川添神社とごみかけ祭り
 川添神社の「ごみかけ祭り」は奇祭として有名で、この
祭りの主役となる当番は、栃原区と新田区から一人ずつ選
ばれる。昔はこの大役を引き受けると相当の出費がかさむ
ので、余裕のある家庭しか奉仕することができなかったが、
戦後は両区の組が順番に当番を行うことになった。実際の
当番はその組の中で選ばれるようになり、年長の者を兄当
(エトウ)、年の若い当番を弟当(オトウ)という。
 当番にあたった組では前日から準備に取り掛かり、まず
団子を作る。長さ一五センチメートルほどの細い割竹の先
を二つに割ったものへ、米粉で作った直径一・五センチメ
ートルほどの白い団子と青海苔をまぶした団子を一つずつ
刺す。この竹串の数は一年の日数と同じ三六五本である。
これを麦藁で作ったホデに丸く刺すが、このホデは長さ二
メートル余りの檜の白木に丸く束ねられているので大きな
花が咲いたように見える。
 また、昔ながらの陶器のカメを白木の棒で二人でかつい
でもってくる。このカメには昔は濁り酒を入れたが、今は
清酒を持って行くようである。参拝者は、榊の小枝を手に
した奉仕の人々とともに行列し、狩衣姿の先導が大声で
「マダラーク マンザイ」「マダラーク マンザイ」と日
の丸の扇子を頭上に高くふりかざしながらさけぶと、列の
者がこれに大声で唱和し、御神酒でほんのり赤い顔色でに
ぎやかに神社に向かう。兄・弟の当番は神社前で一緒にな
ってそろって鳥居をくぐる。当番は神徳公民館に設けられ
た控え所に入り、狩衣の正装に服装を改める。その間、行
列は休憩するが、記念撮影で忙しい。(後略)

今回体験した五身懸祭の道中行列は大台町史が発行された平成8年(編集しているから取材したのはそれ以前)の様子と変わらない。不明な点は弓射する当番が正装である狩衣に着替える場所が? なくらいだ。

 

前置きが長かったので、この後は下新田集会所から川添神社までを一気に紹介。

 

まず、下新田集会所にて筒井さんから酒甕についてのご説明。

五身懸祭 - 道中練り歩き準備(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き準備(川添神社)

甕だけでも相当な重量で、以前はこの中に酒を入れた担ぎ道中で振るまっていた。ところが、甕を落として割ってしまい酒を台無しにしたことがあり、それ以降は甕を空にして一升瓶を携行するようになった。

また、隣にある篭は酒の肴を運ぶもの。

五身懸祭 - 道中練り歩き準備(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き準備(川添神社)

 

こちらは団子、先が割られた竹串を広げて短冊状の大根に刺し、それらの串の先端に米粉で作った団子を二個刺したものだ。ひとつの団子は青海苔がまぶされている。

団子は一年の日数である365本が作られ、藁を巻いたホデと呼ばれるものに刺される。栃原区と合わせれば730本になる。かなりの数だ。

五身懸祭 - 道中練り歩き準備(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き準備(川添神社)

目の前では、団子が次々とホデに刺されていった。

五身懸祭 - 道中練り歩き準備(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き準備(川添神社)

五身懸祭 - 道中練り歩き準備(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き準備(川添神社)

ほぼ完成。

五身懸祭 - 道中練り歩き準備(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き準備(川添神社)

 

日の丸の扇子を手にしているのは、先達だ。行列の先頭に立ち、行列を先導すると共に「マダラーク マンザイ」と声を上げる。声だけでなく行動でも雰囲気を盛り上げる。出発を前にしてかなり飲まれている様子だった。(「飲まないとやっていられない。」と・・・)

五身懸祭 - 道中練り歩き準備(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き準備(川添神社)

 

ホデが完成すると、道中行列の準備が整った。

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

すでに先頭には先達、当番(弓射)が列び、続いてホデ、さらには酒甕、

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

肴篭、榊が・・・、その後ろに参列者と見学者が多数。

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

出発の合図があったのか、なかったのか? 知らぬ間に道中行列は進んでいた。

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

 

先達は最初から飛ばしていた。先達が大声で「マダラーク マンザイ」と叫びながら手にした日の丸の扇子を頭上へ高く振りかざした。すると行列の参加者がこれに応えて唱和した。これこそ萬歳楽だ。

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

私が体験した他の萬歳楽神事も紹介。

【参考】 

 

行列は進み、コンビニ前までたどり着くと休憩。練り歩くにしてはスピードが速かったので所々での時間調整か。

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

さあ、出発、

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

 

そろそろ国道42号線手前の複雑な交差点へ。

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

参列者、見学者も含めると数十人、横断歩道を渡のも大変。

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

道中行列、練り歩きの最後尾からパチリ。先達らから20~30m後方だ。

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

 

国道42号線の新田交差点では赤信号でかなり待った後、集団で横断する様子をパチリ。

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

そして、一行は国道を渡るとJR紀勢本線の栃原駅へ通じる旧道へと進んだ。

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

先達は自らで酒を飲みつつも「酒いらんか?」と周囲に振る舞っていた。

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

「マダラーク マンザイ」、通常は3回のところ、時にはサービスで4回の場合も・・・。

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

紹介が遅れたが、紋付袴の男性が本日の主役である弟当(オトウ)で弓射神事を執り行った。

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

「マダラーク マンザイ」、「マダラーク マンザイ」・・・

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

「マダラーク マンザイ」、「マダラーク マンザイ」・・・

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

まだまだ、練り歩きは続いたが、

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

 

練りが少なく早足だったようで、この場所で行列は一時停止。休憩かと思いきやかなり盛り上がりを見せた。何度も何度も「マダラーク マンザイ」、「マダラーク マンザイ」・・・、さらに、記念撮影も多数。撮影を催促していた。

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

時間調整が必要なのは栃原区の道中行列と同流するためだ。どうも栃原区の行列が現れたようで、行列が動き始めた。

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

途中、先達が同級生と出会うとここでも、

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

「マダラーク マンザイ」、「マダラーク マンザイ」・・・

そして、栃原駅へ近づくと前方左手からも声が聞こえた。

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

ズームでパチリ。栃原区の道中行列が待機していた。

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

 

先達が次の辻で

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

彼らの方へ向き、

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

「マダラーク マンザイ」、「マダラーク マンザイ」・・・

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

 

それに応えるように栃原区の行列がこの辻へと近づいてきた。栃原区の先達はかなりの深酒か、お疲れの様子だった。

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

両地区の行列が共に盛り上がり始めると

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

周囲はカメラマンと見物者で取り囲まれた。ほとんどがカメラマンだ。

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

 

「待ち遠しいな!」

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

 

私は撮影を諦めて川添神社方向へへ向かった。

栃原(宮野)の掲示板(大台町)

栃原(宮野)の掲示板(大台町)

すると右手に祠が建っていたのでお参り。

川添神社付近の庚申さん(大台町)

川添神社付近の庚申さん(大台町)

祠の近くには道標がり、

川添神社付近の庚申さん傍の道標(大台町)

川添神社付近の庚申さん傍の道標(大台町)

次の説明板も立っていた。

川添神社付近の庚申さん、天王さんの説明板(大台町)

川添神社付近の庚申さん、天王さんの説明板(大台町)

 

    庚申さん
 庚申の日の夜は、身を慎み夜は眠らずに明かす習慣で
中国から伝わった信仰である。青面金剛菩薩をお祀りし、
この日には、中耳炎のまじないに穴の通じた石を供えた
り、夜はみんなでお供え物をいただきながら、世間話や
地区の習俗を子供達に伝えたりする日でもあったようで
ある。今は祭祀は行われていない。
   天王さん(道の反対側)
 本社は愛知県の津島神社を奉祭。
御祭神は、須佐之男命であるが、道教の牛頭天皇と結び
付けられて、天王さんと呼ばれるようになった。
 毎年七月十四日には、無病息災を願って祭祀が続けら
れている。

説明板にある天王さんは左側、右側は愛宕社とのこと。

川添神社付近の天王さん(大台町)

川添神社付近の天王さん(大台町)

近くにいたおじいちゃん、おばあちゃんに伺った。この辺には信仰対象が多く、「てんじんさん、せんげんさん・・・」と説明していただいた。天王さんの小社はコンクリートブロックの上に置かれているが、以前は道路の高さがかなり低く石畳の上に祭られていた。路面が上げられ、石畳が埋められてしまったそうだ。愛宕社の前に微かに頭を出しているのが石畳の名残りか?

 

そうこうしていると、道中練り歩きが近づいてきた。この辺まで来ると練り歩きの言葉は相応しくなっていた。

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

栃原区も新田区も一体となり盛り上がっていた。

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

 

私は川添神社へ先回りして

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

鳥居の前からパチリ。すでにカメラマンで取り囲まれ何も見えない・・。

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

境内の常夜燈の脇で待機して鳥居をくぐる姿を撮影しようと思ったが

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

ここでもカメラマンしか写らない。かろうじてホデの上部と日の丸の扇子が見えるくらいだった。

五身懸祭 - 道中練り歩き(川添神社)

五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)

これで道中行列は無事に川添神社へ到着した。

この後、当番である兄当、弟当は弓射神事に望むため紋付袴から狩衣へと衣装を変える。また、定刻までこの付近で待機するとのこと。

川添神社には初めての訪問だったので、私はお参りするとともに散策することにした。

【 20130217 五身懸祭の記録 】

 

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