新ブログサイト『神宮巡々2』開設のお知らせ

本ブログのデータベースが巨大化してしまったため、別途 『神宮巡々2』を新設しました。
2014年以降の記録は、『神宮巡々2』をご覧ください。

 2014年01月01日 【キタヰ】こと、桝屋善則

米山新田(伊勢市円座町)

2013年11月24日(日) 米山新田(伊勢市円座町) (車、徒歩)

本日も昨日に引き続き大台町へ向かった。3年前に叶わなかった三瀬の渡しを体験するためだ。ところがまたまた寄り道。この場所は普段なら通過点となるのだが、紅葉を見つけながら車を走らせていた昨日、目に留まってしまった。しかし昨日は夕暮れが迫っていたのでできれば明るい明日の朝に見学しようと・・。

そして、翌朝に寄り道したのがこちら、伊勢市から度会町へ向かう道路とサニーロードとの交差点の手前左側にある。

米山新田(伊勢市円座町)

米山新田(伊勢市円座町)

石碑の文字は読めなかったが、説明板によると「円座村墾田碑」と書かれているようだ。

円座村墾田碑(伊勢市円座町)

円座村墾田碑(伊勢市円座町)

隣の石柱には「米山新田開発跡」とある。

米山新田開発跡の石柱(伊勢市円座町)

米山新田開発跡の石柱(伊勢市円座町)

 

説明板はこちらだ。

米山新田の説明板(伊勢市円座町)

米山新田の説明板(伊勢市円座町)

米山新田の説明板(伊勢市円座町)

米山新田の説明板(伊勢市円座町)

説明を要約すると、

「高台となっている沼木村円座(現円座町)は荒地となっていたが、円座組の大庄屋であった米山家の四世・宗隆が元禄二年(1689)に同村上野の渓谷より約4kmの水路を引き、約7ha の良田をを得た。また、米山家九世宗持はその古溝が廃絶するにあたり祖先の志を重んじ文政十二年(1829)に同村横輪より約7.6kmの水路を引き、水田に灌漑した。しかし、宗持は借財返却の責を負い天保十三年(1842)に自刃した。・・・」

だから、『米山新田』なのか、ナットク! 大庄屋としての立場のあるのだろうが自刃せざるを得ないほどの借財までして灌漑を進めた宗持はどんな人だったのだろう。会ってみたいものだ。

 

【 20131124 の記録 】

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

*