朝熊御前神社等の御門の柱が接がれている理由?

朝熊御前神社等の御門の柱が接がれている理由?

2010年04月17日(土)の 五十鈴川めぐり にて朝熊神社と朝熊御前神社を参拝した時、あまりにも似た社殿だったのでこれらの違いを探してみた。

朝熊御前神社、朝熊神社

朝熊御前神社、朝熊神社

朝熊御前神社、朝熊神社

朝熊御前神社、朝熊神社

そこで見つけたのが御門の御柱の相違だった。

 

【朝熊神社】 こちらが朝熊神社の玉垣御門の御柱で、

朝熊神社 (あさくまじんじゃ) 皇大神宮 摂社

朝熊神社 (あさくまじんじゃ)

 

【朝熊御前神社】 こちらが朝熊御前神社の玉垣御門の御柱だ。

朝熊御前神社 (あさくまみまえじんじゃ) 皇大神宮 摂社

朝熊御前神社 (あさくまみまえじんじゃ)

 

このように朝熊神社の柱は接がれること無く一本であるが、朝熊御前神社の柱は下部が台座のように接がれている。当初は皇大神宮の第一摂社である朝熊神社との格差を柱で表現したのか? とも考えたが、神宮125社を巡りすべての御柱を確認したところ、柱が接がれているのは朝熊御前神社だけだった。

なお、125社ではないが御塩殿神社の御塩殿、さらには神服織機殿神社および神麻続機殿神社の八尋殿も朝熊御前神社と同様に御柱が接がれている。

 

【御塩殿】

御塩殿

御塩殿

御塩殿の瑞垣御門の御柱。

御塩殿

御塩殿

 

【神服織機殿神社】

神服織機殿神社、八尋殿

神服織機殿神社、八尋殿

八尋殿(神服織機殿神社)の瑞垣御門の御柱。

八尋殿(神服織機殿神社)

八尋殿(神服織機殿神社)

 

【神麻続機殿神社】

神御衣奉織始祭(上機殿)

神御衣奉織始祭(上機殿)

八尋殿(神麻続機殿神社)の瑞垣御門の御柱。

八尋殿

八尋殿

 

以上から考えると御柱を接ぐ理由は朝熊神社と朝熊御前神社の間だけで説明できるものでは無さそうだ。そのため長い期間悩んでいたが、先日ふと思いついたことがあった。それは神宮の式年遷宮に伴う御用材の再利用(リユース)だ。

これらの柱は別の社殿等から引き継がれるが、単純に丈が足りないために接がれたのではないだろうか?
御用材を引き継ぐ順番は材を切る、接ぐ作業がなくて済ませる効率優先ではなく、それこそ社格なり神宮内での位置付けの優先度を先行させ、朝熊御前神社や御塩殿、八尋殿の御柱は丈が足りない御用材を再利用しているとする仮説を考えた。

神宮司庁の広報では御用材のリユースに関する情報は提供していただけないようなので、別ルートでの検証が必要だ。どうすればいいだろうか? 新たな課題にぶち当たった。

Comments

  1. 「格」の問題もあるのでしょうが、ご用材としてある一定の質に達しないものを利用せざるを得ない状況があるのではないか?と思ったりしています。
    外宮宮域内でも、いくつか「これひょっとしたら接いでいないか」と思うのが散見されました。
    おそらくやはりご用材で、「伐りたくはないけれど、足りない理由から」接がざるを得ないお宮が出てきたのではないでしょうか?
    全部が全部と言うわけではないでしょうが、今は木曽からご用材が来ていますが、神宮林から採っていたときには、「ご用材にする木がなくなったため、木曽に移った」という説もあります。
    とすれば、今神宮林でまた採られはじめているご用材は、こういった木曽でも「接がざるを得ないお宮の柱」が出てきているという理由からでもあるかもしれません。

    1. p_m_aさん
      おはようございます。

      > 外宮宮域内でも、いくつか「これひょっとしたら接いでいないか」と思うのが散見されました。
      貴重な情報をありがとうございます。外宮宮域内ですね、次回詳細に見てみます。

      では、また、

      1. 宮域内とはいえ、それはよく見る建物ですが、お宮ではなくて・・・ですが。
        キタヰさんに言われて見てはじめて建物ひとつひとつ見て回るようになってから、気づきました。
        あくまで「可能性」や「推測」の域でしかありませんが・・・。
        お宮ではなくて、建物ですけどね。

        1. そうですか。宮域内のお宮以外の建物ですか。手水舎や五丈殿、九丈殿などさまざまな建物ですね。
          私もそれらには気を配っていませんでした。見てみます。

          本日、外宮およびその周辺の125社にお参りしてきましたが、急いで回ったのでこのことはまったく意識していませんでした。
          年明けにじっくり回ってみます。

          よいお年を!
          では、また、

  2. ご用材のリユースについては、北海道南西沖地震の際における奥尻島の神社への事案があるようですし、神宮内では宇治橋の鳥居が最たるものですよね。
    だとすれば、この丈が足りないというのはどうしてか?
    寸法が違う御柱をつなぎ合わせられたのか、ご用材をリユースし続け、表面の古い部分を削ってきた結果、そういうつながざるを得ない状態に陥った(削り削りつかうという事が前提だと思うので)とも考えられます。
    あくまでこれも仮説ですが、奥尻島に送ったというのは本当のことのよう。あくまで神宮会館の早朝参拝で話されていることなのですが。

    1. p_m_aさん
      こんばんは、

      そうですね。内宮および外宮の御正殿の棟持柱は次の御遷宮で宇治橋の内・外の大鳥居に利用され、さらにその20年後には内の鳥居が「関の追分」の鳥居に、外の鳥居は「桑名の七里の渡し」の鳥居に再利用される。これは書籍にも紹介されています。
      また、その他の実例としては、織殿神社にて報告したように織殿神社の拝殿の柱は神宮から譲り受けたものとあります。これから考えると奥尻島の神社への事案にも信憑性があります。

      私の仮説では神社等に神宮内で定めた格があり、その順に御用材をリユースすると丈が足りないケースが発生する。それが朝熊御前神社、御塩殿、両八尋殿で、私はこれらへの供給元を知りたいのです。すべてのリユース情報ではなく、ただこの4ヶ所に関する情報だけです。

      地道に調べてみようと思っています。情報があれば教えてください。

      では、また、

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